2004 年のひとりごと


[01/01] ラストサムライ

見てまいりました。
そもそもサムライが結構好きなんですが、加えて「歴史上の敗者を、敗者自身の視点からとらえた」というのが非常に気に入っています。
通常、歴史といえば「勝者の歴史」ですが、勝者がいれば当然敗者もいる。その敗者を視野に入れてこそ真の歴史である、というのが、私の歴史観です。

そしてもうひとつ、この映画で気に入っているのは、「散り際に一華咲かせること」。
華は散るからこそ美しい — この美的感覚は日本人特有のものでしょうね。
あのシーンを見たときの感想は、最後に「天皇」が代弁してくれています。まだご覧でない方は、ぜひ一度ご覧あれ。

[01/01] 年末大掃除

・・・といいながら我が家では年をまたいでます(笑)。

さて、先日「窓ガラスを濡らした新聞紙で磨く」ということをやりました。
ある程度きれいになるんですが、この時に変な音がするんです。
なんか、こう、ピコピコと、電子音みたいな・・・

・・・そうだ!スターウォーズの R2D2 に似ている!いやマジで!!
お疑いの方はぜひお試しください。多分ほとんどの方は掃除済みでしょうけれど・・・

[01/12] 親ぬゆしぐとぅ(うやぬ・ゆしぐとぅ)

これは「親の言うこと」を意味する沖縄語(ウチナーグチ)です。この言葉は有名な沖縄歌謡「てぃんさぐぬ花」に出てきます。

 てぃんさぐぬ花や 爪先(ちみさち)に染(す)みてぃ 親(うや)のゆしぐとぅや 肝(ちむ)に染(す)みり
 [ほうせんかの花(から作った染料)は爪先に染め、親の言うことは心に染めるものだ]

・・・ええ、まあ、その通りです。親の言うことというものは肝に銘じておくものではあります。
しかし!だからといって全国の親のみなさま、調子に乗ってはいけませんぞ。
子供というものは「親の言うことを聞く」以上に「親のすることを見る」ものです。
言うことばっかり偉そうにしていて、自分の行動が全然伴わなければ、子供は従いません。

親の言い分として「誰がここまで育ててやったと思ってるんだ!」というセリフをよく聞きます。
しかし、考えてみてください。食わせてやればそれで十分、というのでは、扱いがペットと変わらないという意味です。親子って、そういうものですか??
さらに、それは「子供が独立して扶養関係が消滅してしまえば、親子の間には何も残らない」ことにもなります。

親の務めというのはもう一つあります。子供に対して生き方の手本を示すことです。
しつけとして子供に「ああしろ、こうしろ」と言うのも重要ですが、子供に対して言っていることを自分が全然実践しないのでは、子供は絶対についてきません。「親として」の前に、「人として」信じてはもらえないのですよ。
特に、「注意されても文句を言うな、注意されるような事をするのが悪い」と言っておきながら、自分が子供に非をとがめられたときに「うるさい!生意気いうな」と親の権力でねじふせるのは、親として最悪です。

また、自分がよかれと思ってしていることが、子供の目にどう映っているかというのも、重要です。
「お前のためを思ってしているのだ」といくら言ったところで、それが実際に子供のためになったかどうかという「結果の反省」をしないと(そして「実は失敗だった」という結論が出たときには素直に謝らないと)、子供にしてみれば単に親の自分勝手に振り回されただけ、という印象しか残りません。

子供がなかなか従ってくれないとお嘆きの世の親御様、まず自分のこれまでの言動について、上に書かれた内容に心当たりがないかどうか、今一度見つめ直してみてください。
これを書いている時点で私にはまだ子供はいませんが、子供が生まれたらこれらのことを常に念頭においた子育てをしようと今から決意しています。

・・・なんてことを、とある夜に妻と熱く語り合っていたところ、午前2時くらいまでかかってしまいました。
翌朝はちとつらかったです。やっぱりものには限度ってものがありますねぇ(笑)


ちなみに、「てぃんさぐぬ花」の歌詞には、冒頭に出てきたような「親の恩の偉大さ」を歌う部分が多いのですが、こんな歌詞もあります。

 宝玉(たからだま)やてぃん 磨かにば錆びす [宝石でも磨かなければ錆びる]
 朝夕(あさゆ)肝(ちむ)磨ち 浮世(うちゆ)渡ら [毎日心を磨いて生きていきなさい]

おそらくは、「怠惰な生活を送ってはいけない」という、親から子に対する言葉なのでしょう。
しかしこれを「親の地位や権力に安住せず、子から尊敬される親であるよう、日々精進しなさい」という、親である者に対する教訓と見ることも、できないでしょうか。

[01/22] 史跡の見方

これまでに、いろいろな史跡を目にしてきました。最近では、昨年夏の沖縄旅行で見た今帰仁(なきじん)城や、そのさらに前の冬の沖縄旅行で見た首里城などがあります。

で、どんな史跡が好きかというと。
それは「あまり多くのものが残っていない史跡」。
つまり、首里城のように(復元されたものとはいえ)正殿など城郭の多くを目にすることができるところより、石垣しかない今帰仁城の方が好きだということです。
現在は奈良の平城京址に朱雀門が復元されているらしいですが、それよりもホントに「址(あと)」しかなかった状態の昔の平城京址の方が私は好きです。

理由は簡単で、なまじ実物が見えているよりは、何もない方が「想像できる範囲が大きいため、ロマンをかきたてられるから」。
今帰仁城のように、周りにも何もないようなところはさらに理想的です。

今まで見た中で上記の条件を満たすようなところというと・・・
前述の今帰仁城に平城京址、越前一乗ヶ谷の朝倉館址(戦国大名の朝倉氏の館の址)、石川県の鳥越城址(一向一揆の拠点)、あとは沖縄の喜屋武岬(きやんみさき、沖縄戦ゆかりの地)。
喜屋武岬は石碑(というより墓碑か?)がある以外は本当に何もありません。ひめゆりの塔や平和祈念公園みたいに観光地化もされていません。一人静かに沖縄の過去に想いをめぐらすには、あそこが一番いいと思います。

[01/22] 海外旅行での外国語の必要性

これは「なくてもいける!」という話をよく聞きます。確かに、必要最低限の旅程を完遂するには特に必要ないかもしれません。
が、これはあくまで「必要最低限」の話で、想定外の事態が発声した場合などは、現地でのコミュニケーションがどうしても必要です。
また、言葉が通じたほうが便利なことが多いのも確かです。

そんなわけで(?)、実は今まである程度言葉が通じる国にしか行ったことがないのです。
台湾も行きましたが、結構日本語が通じたりするので・・・。とりあえず「我們是日本人」(私たち日本人です)は覚えていきました。

以前にスペインに一人旅をしたときも、やっぱりスペイン語ができてよかったなぁと思ったものでした。
安宿を探して泊まろうとして、中に入ると、フロントのオバチャンがやや不安そうな顔をするのです。「うわ!どうしようガイジンさんだよ」とでも思ったのでしょうか。
そこへ私が「Querría hospedarme esta noche」(今夜泊まりたいのですが)とスペイン語できりだすと、とたんに顔が明るくなり、態度が非常に友好的になるのです。

ちなみに、スペインで「安宿」といえば、通常は家族経営の民宿「オスタル (hostal)」になります。
ホテルのようにフロントが24時間体制なんてことはありません。そんなわけで・・・
「実は明日 6 時半にここ出なきゃいけないんですよ」
「朝の? えらく早いのねぇ。じゃあお金は今払って。明日はそのまま出ちゃえばいいから」

こんな交渉も言葉あってこそ。やっぱり、多少でもいいから、言葉は覚えていきたいものです。

[02/08] 新選組!

・・・といえば今年のNHK大河ドラマ。
香取慎吾演じる主人公・近藤勇が、天然理心流の剣術道場「試衛館」の道場主であったということは、ドラマのみならず広く知られています。

さて、ドラマでこの試衛館の中を見ると、一番奥に掛け軸が二枚かかっています。
一枚は「鹿島大明神」、もう一枚は「香取大明神」。
この「香取大明神」は香取慎吾が出演していることにひっかけたギャグ・・・ではありません(妻は当初そうだと思っていたらしい)。 香取大明神こと香取神宮(千葉県佐原市)のフツヌシ神と、鹿島大明神こと鹿島神宮(茨城県鹿嶋市)のタケミカヅチ神は、記紀にも紹介されるほどの武の神として知られ、このことから剣術の神として崇められるようになったということです。

というわけで、「香取大明神」は100%のギャグではありません。
1% ぐらいは制作陣の遊び心が入っているかもしれませんが・・・

[02/08] 「On Marriage and Family」

これは妻が今から5年前にアメリカで入手してきた本です。
といってもかなり小さい本です。

「LIFE'S LITTLE TREASURE BOOK」というシリーズ本の中の一冊で、結婚と家族生活を成功させるための秘訣・名言がいろいろと並べられています。
有名なソクラテスのセリフ
「とにかく結婚せよ。良妻を持てば幸福になれるし、悪妻を持てば哲学者になれる」
もこの中にちゃんと収録されています。

そんな中で私が好きなのは、まだ結婚相手を見つけていない人に宛てたと思われる、結婚を成功させるための次の2か条。
1. 結婚するのにふさわしい人を見つけること。
2. 結婚するのにふさわしい人に自分がなること。

今でもたまにこの本は広げて読んでおります。
日本で入手可能なものならぜひみなさんにおすすめしたい一冊です。

[04/14] 春はあけぼの

夏はむさしまる・・・というのは冗談ですが(^^;)、そういえば古典パロディのページに「枕草子」のパロディがあります。

「枕草子」のパロディはずいぶん昔から作りたいと思っていたのですが、どうしてもネタが浮かばず、昨年ようやくできあがりました。
最初の「やうやう広くなりゆく額際(ひたひぎは)、少し明かりて、薄くなりたる髪の細くたなびきたる」はすぐ思い浮かんだのですが、この最初の発想をもとに勢いで突っ走ろうとすると・・・すぐ燃料切れになる(笑)。
冬の項あたりはかなり無理している様子が見えるんではないでしょうか。

この「竜頭蛇尾」的な作風は「平家物語」の冒頭部分のパロディ(「枕草子」パロディと同じページに掲載)ではもっと顕著ですね。いやぁむずかしい・・・
今のところ次の作品の予定はたっていません。誰か投稿してくれる人でもいないかなぁ!?

[04/25] 「通分」

・・・って、覚えてますか? 分数の足し算&引き算をするときに、分母を同じ数にそろえることです。
たとえば、4/9 + 5/6 = 8/18 + 15/18 = 23/18
ということです。

この間、近くの本屋さんでとある本のページを適当にめくっていたら、これが出てきました。
「なぜ通分をしなければいけないか、そしてなぜ通分はこのやり方でやるのかを、子供たちにちゃんと説明できるか」という趣旨の文章でした。

で、結局詳細は読まなかったのですが、後から考えてみると・・・う。説明できない。

子供の「なぜ?」に答えるのは大人の義務・・・とは思うのですけれど、こういうのは難しそうです。
将来自分の子供から勉強の内容について質問を受けたときのことが今から思いやられます(←気が早すぎ? ^^;)

[05/14] 外国語ってむずかしい!

このサイトには「スペイン語の玄関」というページがあります。
この中の「読み方(1)」のページにある「LL」と「Y」の読み方について、先日某所にて論議がわきおこりました。

ちなみに、論議自体は当サイトとはまったく無関係に行われました。念のため。

某書籍(初心者向けスペイン語テキストの類)に掲載されていた読みガナが、今回の論議の対象となりました。
たとえば、「El vuelo ya ha llegado(そのフライトはもう到着しています)」という文があったとすると、その読みガナは
「エル ブロ ジャ ア ジェド」のようになっていたりするわけです(太字はアクセント)。

問題は、YとLLを上記のように「ジャ」行で表記してよいのかどうか、ということでした。
実は朗読音声がついていたのですが、一部の人が「どちらもヤ行に聞こえる」というのです。

うう。ここは本当に学習者にとっては泣き所であります。
どんな感じの音なのかは、上記「スペイン語の玄関」の「読み方(1)」をごらんいただければわかりますが・・・、「ジャ行」のような、「ヤ行」のような、あいまいな感じの音なんですね。
ちなみに、「LL」については、少数意見でしたが「リャ行」に聞こえるとの声も・・・。

「ジャ行」のつもりで聞いていると「ヤ行」に聞こえる、という人がいる一方で、以前スペインに行った時、現地にスペイン語を勉強しに来ていたベルギー人が
「ベルギーではヤ行ってならったんだけど、来てみたらみんなジャ行でしゃべってるじゃないか!」と嘆いてました。

英語の「J」よりは間違いなく「Y」に近い音なんですが、若干濁った感じの音なんです。
だから、たとえば「llamar(呼ぶ)」なんかの場合は「ヤ"ル」のように「ヤ行」に濁点でも打って表したいところなんですよね・・・。

逆に言えば、どう書いても正確に表しきることはできないのだけど、この「若干濁った感じ」を表現するには日本語だと「ジャ行」で表記するしかないんだよね、というのが最終結論でした。

「スペイン語の音を日本語で書き表そうというのが本来無理なんだよなぁ」という身もフタもない声もありました(笑)。
外国語って大変ですね。ホントに。

[06/03] 方言使用率

プロフィールにもあるとおり、元々石川県の人間ですが、現在東京に住んでおります。
ということは、表題の「方言使用率」は私の場合さぞかし低下しているのだろう、と思われる方も多いでしょう。
ところがどっこい!決してそんなことはありません。

実は、上京前は家庭内であまり方言を使用していませんでした。
母が県外の人間で、結婚してしばらくの間は言葉でずいぶん苦労したらしく、「自分の息子にはわかる言葉でしゃべってもらいたい」と思ったようで、結構標準語教育を徹底されてたんですね・・・。
結果、幼少のころは外に出ても方言ではなく標準語。親戚一同の間ではかなり変わった子として見られていたようです。

しかし、外の人間はみんな方言でしゃべってるわけですから、だんだんと方言を使うようにはなってくるわけです。
といっても、それはあくまで外での話。家の中ではやっぱり標準語なのです。

そして現在。東京に移り住み、結婚もしているのですが・・・。
方言の使用を抑制する人間(=母)が家の中にいない上、妻はなんと同郷!
そんなわけで、外ではさすがに標準語なのですが、家庭内では在郷時以上に方言がとびかっています。
さすがに、元が元なので妻よりは方言が少ないのですけれど、それでも最近母には「あんた最近わからん言葉を話すようになったねぇ」と嘆かれ(笑)、親戚(というには遠いけど)の某お年寄りには「あんたほんな方言しゃべる人やったかねぇ?」と驚かれております。

そんな具合ですもので、たまに家庭外でもぽろっと出てしまうんですよ。
「いじっかしい」(=物事が遅々として進まないためイライラする)とか
「ダラんねぇけ」(=バカじゃないのか)とか・・・
もし私と会うことがあったら、たまにそういう言葉が出てくることを覚悟してください(^^;)

[07/03] 「るろうに剣心」

・・・というマンガをご存知でしょうか。数年前まで「週刊少年ジャンプ」で連載されていた、明治初期の剣客の物語です。
マドリッドのショッピングセンターに立ち寄ってみたとき、ひょっとして日本のマンガがスペイン語化されて置いてあったりするのだろうか、と探してみたところ。ありました!「るろうに剣心」最終巻。すばらしいですねぇ。時代物は外国語訳しにくそうな気がするのですけど、よくがんばった!翻訳者!

ところがなんとなく読みづらいのです。なぜだろうと考えてみると、日本のマンガは基本的に縦書きなので、ふきだしも縦書き仕様で縦に細長い。
そこに横書きの、しかも一単語の長さが比較的長いスペイン語を入れてあるため、単語の途中でのハイフネーションによる改行がいっぱいあるのです。
残念ながら最初の1ページで見るのをやめました(笑)。

そういえばテレビでは「ドラえもん」もやってました。ドラえもんの声は日本版とそっくりで感動しました。
登場人物の名前は大体日本版と同じですが、ただひとりジャイアンだけは英語 Giant のスペイン語訳「Gigante(ヒガンテ)」になってました。

[08/04] 自由、とは!

以下、話に聞くだけで実際には目にしたことはありませんが・・・

電車の中で子供がはしゃぎ回って周囲に迷惑をかけている。見かねた乗客が子供に注意すると、子供の母親(←なぜか「父親」というのはまだ聞いたことがありません)が憤慨して
「子供には自由にさせることにしているんです!」

さて。明らかに「勘違いママ」だと思うのですが、どこがどう勘違いだかこのママさんに指摘できるでしょうか。
まあ、まず一つは簡単。「自由というのは、他人に迷惑をかけてもいいという意味ではない」ということですね。
日本国憲法にも、第十二条に「国民は、これ(=憲法が国民に保障する自由及び権利)を濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と書かれております。
これは大変!このママさんは自分の子供を憲法違反者にしてしまうところです。気をつけましょう。

もう一つの勘違い。それは「本当に自由であるなら、他者とのいさかいが生じたときの対処の仕方も本人の意志に任せなければならない」ということです。
どういう意味かって?つまり「これはこの子とオレの問題だ、あんた(=母親)はすっこんでろ!」ということです(笑)。
もちろんそれですっこんでいる親はいないでしょうが、その時点で親は管理責任を認めたのと同じなのですから、事後の始末は何らかの形で親がきちっとつけなければいけないわけです。

「あんたはすっこんでろ!」か・・・
うーーん これはぜひ一度言ってみたい! でも実際に言えるかなぁ(臆)

[08/16] 敗者のその後

今年のNHK大河ドラマは「新選組!」です。
この中に、斎藤一(さいとう・はじめ)という登場人物がいます。新選組三番隊の長として知られる人物です。
この斎藤さん、戊辰戦争により新選組が消滅した後どうなったかというと・・・

なんと! 幕府方の組織(新選組)の人であった斎藤さん、名前を藤田五郎と変えて警視庁(つまり新政府の組織)で勤めてるんです。
退職時は警部まで昇進していたそうです。

戊辰戦争と言えば、函館の五稜郭で榎本武揚が最後まで抗戦していたことは有名です。
この榎本さんのその後はというと、いったん刑務所入りするんですが、その後なぜか新政府で大抜擢、大臣職を歴任します。

さらに。戊辰戦争後の徳川家の扱いは!
なんと徳川慶喜の後を継いだ(つまり徳川本家16代当主の)徳川家達(いえさと)は貴族院議長を30年務めます。しかもその後は日本赤十字社の社長です。

敵軍の将たちに対する明治政府の扱いは我々が想像するより寛大だったのですね。
現代に生きる我々の方がむしろ野蛮だったりして・・・??

[08/16] 合併後の自治体名

私の故郷石川県でも、市町村合併の動きが広まっています。
すでに旧河北郡の3町が合併し「かほく市」が誕生していますが、他市町村でも数多くの合併構想が持ち上がっています。

この中で注目は「能美市」。能美郡内の3町が合併してできあがる予定です。能美の二大有名人といえば松井秀喜と森喜朗(ともに根上町)ですが、この能美市という名前を決める際に候補を公募したところ、ベストテンの中に「松井」と「ゴジラ」が!!
誰だよベストテンに入るほど投票したのは! ちょっとふざけすぎじゃないかい!?

まあ、これは極端な例ですけど。
他に「白山市」の場合、候補に「南金沢」があがったようです。けど白峰まで行って「南金沢」・・・ちょっとそれはなぁ。
まあそれを言ってしまうと、美川や松任みたいな場所で「白山」というのも・・・
だってねぇ、美川出身の人が帰省するときには「白山に帰る」って言うわけですよ。山里かと思いきや、目の前が海だったり(笑)。
「手取市」(=白峰~美川を流れる川の名前にちなみ)あたりだと、この辺の問題は解決するんですけどね。

・・・と妻に言ってみたら
「松任には手取川は流れてないけど、白山は松任からでも見える」
と言われてしまいました。そうか・・・それも一理・・・ナイナイナイ!(笑)

名前づけが難しいのは人間だけではないということですね。自治体合併の大きな壁の一つかもしれません。

[09/12] 姑から見た嫁

先日、親戚の結婚式へ行ってきました。

自分の結婚式を除けば、結婚式に出るのは約20年ぶり(!)なのですが、ここで一つ大いに感動したことがあります。
それは、披露宴の席で、新郎の母親が各テーブルをまわりながらこう言っていたことです。

「かわいい娘ができて本当にうれしくって」

・・・「かわいい娘」!
これを人前で堂々と言い切れる姑さんはそうはいませんよ。少なくとも私は初めて聞きました。これぞ姑の鑑です。世の姑たるものかくあるべし!!

新しい門出を迎えた二人に幸ありますように。

[10/15] スペイン語をはじめた理由

この話はもう書いたと思ってたんですが、まだ書いてなかったんですね。
というわけで、せっかくなので今回書きます。

若かりし頃、故郷の町にちょっとした大きな工場がありました。
そしてこの工場にはペルー人労働者が大勢いたのです。

で、とある機会にこの人たちを目にしたのです(が、言葉は結局かわしませんでした)。
スペイン語ができる人が周りになかなかいないため最初は苦労していた、という話も、そのときに耳にしました。

その当時、英語以外の外国語を何かやってみたい!とは思っていたのですが、このときに
「こんな田舎でも需要があるんだったら、スペイン語っていうのは結構使い道がある言語に違いない!」
・・・と思ったわけです。
こうして、私のスペイン語道が始まったのです。

ただ、実際のところ、こういうきっかけでスペイン語をはじめたにもかかわらず、中南米よりはスペイン本国の方を気に入ってしまいました。
件のペルー人のみなさんともその後一度も会っておりません。
原点は心なしか忘れられているような気がします(笑)。

その後、この工場は企業リストラの一環で分社化されたと聞きました。ペルー人のみなさんはお元気なのでしょうか。

[12/09] はたして彼らは知っているのか?

「Do They Know It's Christmas」— イギリスの「Band Aid」というプロジェクトによるチャリティーソング。
彼らは今がクリスマスだと知っているだろうか、という意味です。
Band Aid はエチオピアやスーダンの難民を救済するためのプロジェクトで、過去の「Band Aid」「Band Aid II」に続き今年「Band Aid 20」が結成されるそうです。
おそらく、この歌のタイトルは「難民は心のゆとりをなくし、今がクリスマスであることにも気がついていない」という意味でついているのだと思うのですが、私の考えはちょっと違います。

問: 彼らは今がクリスマスだと知っているだろうか。
答: 知らない。彼らはキリスト教徒ではないから。

エチオピアはキリスト教の一派であるエチオピア正教の信徒が国民の半数を占めているらしいですが、逆に言えば残りの半数は非キリスト教徒ですし、スーダンだと非キリスト教徒の割合は 9 割を超えるとか。
クリスマスはあくまでキリスト教の行事が本来の姿であり、全人類共通のイベントというわけではないことは、ちょっと心にとめておきましょう。

なお、難民救済という Band Aid プロジェクトの主旨自体に反対しているわけではありません。念のため。